● 経歴・作品

春琴抄』で有名な小説家。
東京日本橋生れ。
東大国文中退。
24歳で小山内薫和辻哲郎らと第2次『新思潮』を創刊し『刺青』『麒麟』を発表。
また『スバル』に『少年』『幇間』を発表し永井荷風の絶賛をうけた。


『刺青』は谷崎が追求する倒錯的な傾向が明確に表現されている。
『悪魔』『お艶殺し』などを書いて官能的な耽美派悪魔主義の作家とされ、『痴人の愛』でその頂点を示した。


関東大震災後関西に移住。
古典や純日本的なものに関心を集め、『卍』『蓼喰ふ虫』『吉野鶯』『盲目物語』『蘆刈』『春琴抄』を発表。
源氏物語』現代語訳を完成。


戦後は『細雪』のほか『少将滋幹の母』『鍵』『瘋癲老人日記』や随筆『倚松庵随筆』『陰翳礼讃』がある。
1949年文化勲章
谷崎精二は弟で作家、英文学者。


「美は物体にではなく、物体と物体の作り出す陰影のあやにある」と説く『陰翳礼讃』は、日本古来の独特の芸術文化や美学に関する示唆に富んだエッセイ。
「露出より陰翳を好む」日本人の曖昧な気質をあつかう日本文化論、また西洋人と東洋人の本質的違いを冷静に見据えた比較文化論、さらに芸術論、哲学論とも読める多義性をもつ。


大正6年から10年間、当時「支那趣味」といわれたエキゾティシズムに満ちた『人魚の嘆き』や『魔術師』を発表したものの、その後執筆されなくなった。
なぜなのか。


春琴抄』は1933年(47歳)『中央公論』に発表された中編小説。
大阪の薬種商の娘春琴は早く失明し琴の道に入った。
しかし性格は驕慢で、そのため何者かに熱湯をあびせられ、醜く変相する。
春琴の門弟で、献身的に仕える佐助は、その顔が見えないよう自分の両眼を針で突き、盲目となるという筋。
作者の耽美的女性崇拝を純化したものとされる。


「かつて谷崎潤一郎は、己の技に自己実現のすべてを託す彫物師の姿を『刺青』という短編に仕立てて、文壇にデビューした。
一方、金原ひとみ著『蛇にピアス』の主人公の少女は、不安な自己の確認のため、背中に龍を描くように依頼する。
この間100年近くの年月が流れた」。


昭和天皇が読んだ唯一の小説は谷崎潤一郎の『細雪』だった。
その谷崎は153センチと小柄だったが、体重は67、8キロあり、徴兵検査では「脂肪過多」で不合格になった」。


「蛍狩と云うものは、お花見のような絵画的なものでなくて---絵にするよりは音楽にすべきものかもしれない」。


「谷崎は晩年の1962年、「瘋癲老人日記」を出し、老いて最後には寝たきりとなる77歳の主人公が、息子の若い嫁を渇望するマゾヒズムの世界を描き、文壇にショックを与えた」。


「『陰翳礼讃』画家かれて10年後の戦争末期に、疎開先の谷崎は不意に来襲したアメリカ軍戦闘機を真昼の青空に認めた感動を、「機体もスッキリしていて美しきこと云はん方なし」と書いている。
陰翳など皆無の青空の下での感動を独占したくなかったのか、「防空壕にいる家人たちを呼んで」しまう彼のかたわらで、谷崎夫人が、「あれあれ」といいながら、遠ざかる敵軍機に見とれていた」。