● 作品

 <<古都>
「古都」はなんとも心地よい、優しい感じのする物語である。
それは、全編を通して流れる京都弁の、穏やかな響きが大きいだろう(川端氏の意志で、あえて、京都弁ではないままに残した部分もある)。

そして又、京都の風物や四季の移り変わりも、勿論そういった雰囲気を盛り上げている。だが、何よりも、北山杉の村の澄んだ空気感を背景に生きる苗子と、中京の呉服問屋に拾われて育った千重子姉妹の娘らしい心の描写が、物語の優しさを決定づけているのではないだろうか。

同じ京都を舞台に描かれた「美しさと哀しみと」に比べても、遥かに静かでたおやかな時間の流れ方である。
姉妹の過去に広がる背景の重さも、決してやりきれなさに通じる事なく、そこにあやどられる淡い恋愛感情もあって、静かな柔らかさを助長している。

そしてこの物語の特徴のひとつは、それまで知られていた、神社仏閣の散在する京都市街ではなく、外れにある北山杉の村を舞台とした事だろう。
この場所は「京都」という、華やかだがしかし、尚かつ日本人の心のふるさとたる静粛な場所を後ろ楯に、一層輝きを増している。


 <<伊豆の踊子
川端康成は20歳の時、初めて一人で伊豆の旅に出た。
その時に出逢ったのが、この薫という名の踊子である。

 本文に「最初は私が湯が島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。
その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓を提げていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。」とある。

 私が川端康成の作品に初めて触れたのは「伊豆の踊子」だった。
最初から川端康成という作家に興味があった訳ではない。
勿論、学校の授業等で、その名は聞いてはいた。
伊豆の踊子」という物語も、作品を読むよりも山口百恵主演の映画をTVで観た方が先だった様に記憶している。
山口百恵のファンという訳ではなかったが、神保町の古書店で「伊豆の踊子」の文庫を100円で買って来たのは、その映画の原作を読んでみようという程度の思いからだった。
しかし、結果、その物語にいたく心を動かされたのだった。
それは多分に、この物語の持つ淡い恋愛小説性だったろう。


 <<雪国>
 川端康成の数々の作品の中で、「どの作品が一番良いと思うか」と問われれば、私は間違いなくこの「雪国」の名をあげる。

 川端康成を敬愛する者として、普通の(特に川端康成のファンではない)人は読まないであろう数多ある作品を読んでもいるからには、普通の人がタイトルも知らない様な作品、例えば「ナアシッサス」とか、「岩に菊」とかの名をあげた方が明らかに通っぽく、愛好者っぽいのかもしれないが、やはり良いと思える代表作品は、「雪国」、「古都」、「伊豆の踊子」、「眠れる美女」等、誰でも知っている様な作品に帰結してしまう。

 これらを選んだ根拠は、単純に、純粋に、「切なさ」や「やるせなさ」等、どれだけ心の琴線に触れるか、という事である。

 中でも「雪国」は最も心を動かされた作品なのだ。
「雪国」は「伊豆の踊子」にも通ずる系統にある恋愛小説(再び批判を恐れる事なく、恋愛小説という言い方をさせてもらう)である。
この2作品は同様に恋愛に伴う喜びと、痛みが描かれているが、それが「伊豆の踊子」では淡く、「雪国」では辛く表現されている。そしてその痛みこそが、おそらく人の心に深く響くのだろう。

 そして、その設定、小説の長さ、描写等何を採っても、最も良い形にまとめられていると思われる。