鷹見 泉石

nippon53742006-09-18


鷹見 泉石
(たかみ せんせき、天明5年6月29日(1785年8月3日) - 安政5年7月16日(1858年8月24日))
江戸時代の蘭学者であり、下総国古河藩の家老であった。 

泉石は名を忠常、通称を十郎左衛門、字を伯直(はくちょく)と称した。

古河藩士の家に生まれ、寛政8年(1796)、12歳で江戸詰となり、藩主に近侍、天保2年(1831)、41歳で家老職に就く。
譜代大名として、寺社奉行大坂城代京都所司代、老中など幕府要職を歴任した土井利厚(としあつ)、土井利位(としつら)に近侍、これを補佐している。

対外危機意識の高まるなか、土井家の重臣という立場から早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文、暦数などの文物の収集に努めた。
また、川路聖謨(かわじとしあきら)、江川太郎左衛門などの幕府要人、渡辺崋山桂川甫周などの蘭学者、箕作省吾(みつくりしょうご)などの地理学者、司馬江漢、谷文晁ら画家、砲術家 高島秋帆、海外渡航者の大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平(えがわくんぺい)、中山作三郎ら和蘭通詞、オランダ商館長のスチュルレ(Johan Willem de Sturler)など、当時の政治、文化、外交の中枢にある人々と広く交流を持ち、幕政にあたる藩主の職務に貢献したことはもとより、洋学界にも大きく寄与した。