● 作家概要


作家名: 有島 武郎
作家名読み: ありしま たけお
ローマ字表記: Arishima, Takeo
生年: 1878-03-04
没年: 1923-06-09


1878年3月4日、東京小石川水道町に生まれる。
東北帝大農科大学で教鞭を執るかたわら、1910年「白樺」に同人として参加。『かんかん虫』『在る女のグリンプス』などを発表する。
1916年、結核を病んでいた妻が死に、さらに父が亡くなったことから教鞭を辞し、本格的に文学生活に入る。
或る女』『カインの末裔』『生れ出づる悩み』などが代表作。
1923年6月9日、人妻の波多野秋子と軽井沢の別荘浄月庵にて情死。 << 経歴 >>
1878年、東京都に薩摩藩出身の大蔵官僚の父を持つ家庭に生まれる。
10歳で学習院予備科に入学。
19歳で学習院中等全科を卒業。
その後、札幌農学校に入学。
内村鑑三や森本厚吉の影響などもあり、1901年にキリスト教に入信する。
農業学校卒業後し軍隊生活を送った後、渡米した有島はキリスト教に批判的になったり、社会主義に傾倒しホイットマンイプセンらの西欧文学の影響を受ける。


帰国後はふたたび予備見習士官や大学の英語講師として過ごしていたが、弟の生馬を通じて志賀直哉武者小路実篤らと出会い同人誌『白樺』に参加。
文学者としての活動を開始し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した。


1923年6月、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と情死(心中)。
7月7日に発見されるが、梅雨の時期に一ヶ月以上遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認できたほどだという。


小説家。
1878年東京府小石川水道町に、薩摩藩出身の大蔵官僚、有島武の長男として生まれる。弟に画家の有島生馬、小説家の里見紝がいる。
横浜のミッションスクールから学習院予科に移り、皇太子(後の大正天皇)の学友に選ばれる。
1896年、農学者をこころざして札幌農学校に進む。
クラーク博士の遺したピューリタン的学風にふれ、1901年、家族の反対を押しきり、札幌独立教会で受洗。
1903年から三年間、米国に留学。
ハーバード大などで農学、文学を学び、ホイットマンイプセンに傾倒する一方、社会主義にふれ、クロポトキンにも心酔する。
1907年、ヨーロッパ遊歴中、ロンドンでクロボトキンと会い、幸徳秋水への書簡を託される。
帰国後、母校の教授となる。


1910年、弟たちの縁で「白樺」創刊に加わる(有島が最年長)。
翌年1月から1913年3月まで、同誌に『或る女のグリンプス』を連載。
1915年、妻の入院にともない休職し、東京にもどる。
カインの末裔」「小さき者へ」「生まれ出づる悩み」など、代表作を次々と発表。
1919年、『或る女のグリンプス』を全面的に改稿した『或る女』を刊行。
自己を貫き通すヒロインを通して、政治的・性的抑圧を描いたこの長編は有島の最高傑作である。


1922年、生活改革のために財産処分を断行。
父から買いあたえられた北海道の農場も小作人たちに贈与し、「共産農園」とする。
1923年6月、軽井沢の別荘で波多野秋子と心中をとげる。
45歳だった。